SPECIAL

ASUKA SPECIAL INTERVEW

「江戸小紋をなんとか残そうとしている小さな呉服店、一軒だけになってしまった料亭を守ろうとする人々。そんな昔ながらの情緒を大切にする下町に育ったことが、今日につながっているのかもしれません」

 11月14日に「白椿・紅椿」でデビューするASUKA。その人となりを端的に表わしているのが、冒頭に紹介した発言である。初対面での徒然のインタビューが深まるにつれ、水に舞う友禅のようにしなやかなその歌声の理由が見えてくるようだった。まずは幼児期の音楽体験から、デビュー前夜までの流れをザッと記しておこう。

 '82年9月13日生まれのASUKAが、最初に音楽を認識したのは3、4歳の頃。父親が好きなソウル・ミュージックをよく一緒に聴いていたという。お年玉で買った初めてのCDはドリカム。学校から帰るなり、CDに合わせてひたすら歌うという毎日を送る小学生だった。5年生で英語を習い始めると、ホイットニーやチャカ・カーンにシフト。必ず日本版のCDを買い、歌詞カードを握りしめて歌っていた。

 「そんなに歌が好きなら」と、高校の担任に勧められてからはボイトレにも通うようになる。しかし、好きなことは大事にしておきたい、好きなことで傷つきたくない、という思いの方が強く、プロへの道を開拓するという行動に出ることはなかった。

 OL生活がしばらく続いた21歳の誕生日、ASUKAは「無性に自分をリセットしたい衝動にかられて」、突然会社を辞め、格安チケット片手に、高校時代の親友が住むボストンに向かった。一人旅も海外旅行もそれが初めて。その不安が挙動をおかしくしていたのか、ASUKAは入国審査にひっかかり、別室に連れていかれてしまう。片言の英語でなんとか解決しようとするが埒が開かない。

 そんなピンチに「そうだ。もうコレしかない!」と、なんとホイットニーの「ボディガードのテーマ」を「♪エンダ〜イア〜」と歌い出した。驚いたのは担当官の方だろう。聴き終えると彼女に所持金を尋ね、“OK.GO!”と言ったという。じつに傑作なエピソードだ。

 「頑張っている人のことはわかろうとしてくれる。投げ出した人のことは誰も相手にしてくれない」と、アメリカ生活の長い親友から諭されつつ、そこから3ヶ月、英語学校に通いながら一人暮らしを経験。ボストンという土地柄もあり、ASUKAの友だちの輪はバークリー音楽院の生徒や先生にも広がり、体験入学で授業にも参加したというから、その飛び込み精神、行動力には恐れ入る。

 そうやって、アメリカで一旦「垢を洗い落とした」ASUKAだったが、戻ってからは再びOLとしての日常を選ばざるをえなかった。いつまで続くかわからない単調な日々。そんなときにふと手に取ったのが、「魂の一行詩」として俳句の普及に務める角川春樹の本だった。

 「ズバッと直球でくる17文字。これはヤバいと思った」ASUKAは、有給休暇を利用して、氏が教鞭をとる尾道大学に聴講生として通い出す。「一行詩を書くようになって、自分をさらけ出す居場所をもらえたような気がしたんです。自分がずっと言葉に興味があったことにも、あらためて気づきました」と、ASUKAは振り返る。

 さらにそこで転機が訪れた。授業が終わったあとの懇親会で、たまたま歌ったASUKAのその歌声が、目利きである角川春樹をうならせたのだ。「上手いだけの歌手はたくさんいるが、ASUKAの歌には真っすぐな心がある」と、そこから怒濤のような流れでデビューが決まっていった。ついこのあいだまで受付け嬢をしていたOLのシンデレラ・ストーリー。でも、その台本は、気づけば直感と飛び込み精神で歩んできたASUKA自身が知らず知らず書いてきたものなのかもしれない。

歌の世界に入ろうと手だてを考えていたわけじゃないのに、縁って本当に不思議ですね。

「思い返すと、やりたいこととできることは違うんだとずっと思ってた気がするんです。大事にしている歌が、夢として実現できなければ苦しいだけだから、趣味に留めておいた方がいいと自分に制限をかけてた。でも、プロデューサーと出会ってからは、一つひとつのことに躊躇はしなかったですね。下町育ちで、言葉が好きな私が大事にしているものと、プロデューサーが大事にしようとしているものとが、同じだったのかもしれないと、今になって思ったりもします」

その大事にしているものというのが、デビュー曲「白椿・紅椿」からすごく伝わってきます。どんなふうに生まれたものなんですか?

「ASUKAの歌には松本隆さん、というのがプロデューサーの頭に最初からあったようで、短い時間でしたが実際にお話させていただいたんです。上がってきた作品が、“本当にあってるよね”とスタッフ全員が思うようなものだったので驚きました。たぶんお会いしたときに、瞬時にASUKAの本質を見てくださったんでしょうね。そう、だから、完全に詞先なんですよ」

その詞に寄り添うメロディを書いたのがマシコタツロウさん。

「マシコさんはご実家でこの曲を書いたそうなんですけど、そのときお母さまから“そういえば、うちにも白と紅の椿があるのよ”と言われて、ビックリされたらしいです」

ゾクゾクくるような話ですね。

「まさに(笑)。詞、曲から、武部聡志さんのアレンジにいたるまで、作り手の思いとASUKAの思いとが、運命的につながっていくような、そんなレコーディングでした」

「手で包む蝶々なら 空に逃がしてあげなくちゃ」という主人公の女性をどう感じましたか?

「時代とともに女性のキャラクターも変わっていくけれど、忘れてはいけないような日本女性の原点の姿を見る思いでした」

けっして耐え忍ぶ姿ではないんですよね。

「そうなんです。自分の中ですべてを消化したスッキリとした気持ちが、そこにあるんですよね」

「私の魂 紅一点」という一行はどうとらえましたか?

「家族、友人、恋人・・・きっとどんな人たちと接していても、自分だけの心のスペースというものがあると思うんです。最後はその一人の場所に還ってゆくという覚悟があるような。そんな感じに受け取りました。ただ強がって自分を納得させようとしているのではない、もっとしなやかな命の強さなんですよね。あの一行で、グッと心に芯が通るような気がしました」

歌にはどんなふうに臨みましたか?

「歌うということをヘンに意識せず、思いと言葉を伝えるということだけを考えてた気がします」

「たんぽぽ」の方は、詞をASUKAさんが担当してますね。

「武部さんの曲を聴いた瞬間、不思議なくらい自動的に言葉が出てきたんです。幸せになることが怖いと言う友人に、ささやかな幸せを素直に大事にしていくことが自然なんじゃないかなと伝えたくて」

「五月雨」という言葉が、ASUKAさんらしいなと。

「一つ知ったら心が豊かになる美しい言葉ってたくさんあるじゃないですか。もしその意味がわからなかったら、家族や友だちや恋人に尋ねてみてほしい。そこでまたコミュニケーションが生まれたらうれしいですね」

 和服を着て食事にでかけることもあるという。「下着、襦袢、帯と順々に身につけていくと、別の人格になります。まさに“私の魂 紅一点”という気持ち」と、背筋をシャンとさせた。着方でわからないことは、何百枚もの着物を持つ「先輩」である叔母さんに教えてもらうのだとか。その叔母さんが、つい最近興奮した声でこう知らせてきた。「あのね、箪笥の下の方から白地に赤い椿の着物が出てきたの。これはあなたに渡すべきものだと思って」と。

「なんだかゾクゾクすることがたくさん起こってます」と頬を紅潮させるASUKA。それらは、「大切にすべきものを伝えなさい」というASUKAへのサインなのかもしれない。

2007.OCT  MIHO FUJII

ASUKA

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